2013年06月29日書評 宅間守精神鑑定書

書評 宅間守精神鑑定書

 この本は池田小事件を起こした宅間守の精神鑑定書をほぼそのままの形で収載したものである。この鑑定書によると宅間守の診断は<いずれにも分類できない特異な心理的発達障害、情性欠如者、妄想反応、脳腫瘍>である。犯行当時には<何らの意識障害もなく、精神病性の精神症状も全くなかった>ので、弁識能力と制御能力は<相当に低下していた>とはいえ著しく低下していたとまではいえない、すなわち刑事責任能力は備えていたと示唆している。鑑定書には家族歴、本人歴、本人犯行、現在症、診断、鑑定主文が書かれている。筆者は鑑定書出版の理由を1)診断について妥当性が検証されるべき 2)宅間守に対する精神医療はどうあるべきだったか振り返るべき 3)事件をきっかけに医療観察法が施行されたことを確認するべき としている。
 診断の妥当性が検証されるべき、とする筆者の意図は立派だと思う。鑑定書も丁寧に作られていて、さぞ多大な時間を鑑定に割かれたのであろう、と頭が下がる思いもある。しかしここで述べられている鑑定手法には明らかなミスがあり、診断の妥当性は無いと言わざるを得ない。平成14年12月21日に某大学病院で鎮静剤を用いた脳波検査、頭部単純MRI、脳血流SPECTが行われている。脳血流SPECTは脳の血流の増加または減少をみる検査であり、鎮静剤を使用した後に施行すれば検査結果に鎮静剤の影響が出るので結果の信頼性が乏しくなる。それなのに、この鑑定団は鎮静剤を用いた脳波検査の後に脳血流SPECTを行っている。これは空腹時血糖を測定する際に絶食の指示を出し忘れるのと同レベルのミスである。宅間守の脳血流SPECTでは両側前頭葉の明らかな血流低下を認めるが、これが疾患によるものか鎮静剤によるものかは誰にも分からないのだ。10万円を超える費用が脳血流SPECTにはかかっているのに、研修医レベルのミスのせいで無意味な出費となってしまった。脳波と脳血流SPECTを同日にやるのなら、先に脳血流SPECTをやってから後で脳波をすればいいだけの話だ。こういう基本的なミスがあると、鑑定そのものが信用できなくなる。まだある。神経心理検査としてウィスコンシン・カード・ソーティング・テストとトレイル・メイキング・テストが行われているが、両方とも宅間守の前頭葉機能の低下を示唆する所見が得られている。つまり脳血流SPECTの結果と神経心理検査の結果が一致するように見えるのだが、鑑定団はそれ以上前頭葉機能に関する神経心理検査を行っていないのだ。Frontal Assessment Batteryという簡易鑑定でも行うような簡便な前頭葉機能検査があるのだが、それさえも実施していない。その意味では簡易鑑定以下のレベルの鑑定だ。精神所見で鑑定団は<記憶はよく保たれている。学業成績や知能検査の結果よりはるかに記憶力はよいのではないか>と鑑定団の主観的感想を述べているが、肝心の客観的な記憶検査は三宅式記銘力検査しか行っていない。なぜ改訂ウェクスラー記憶検査などの詳細な神経心理検査を行わずに<記憶力はよいのではないか>と単なる感想を述べられるのか。脳血流SPECTの誤った実施手順といい、神経心理検査の施行不足といい、客観所見を軽視する態度が目立ちすぎる。
 問題は、信用できない鑑定であっても医学に素人の裁判官ではチェックしようがないことだ。鑑定書を鑑定団以外の医師がチェックする運用が裁判所には求められているのではないか。この本を読んだ一番の感想はこれだ。

www.amazon.co.jp